2011/02/04

卒業設計で考えたこと、そしてピーマン。

先日、母校ヨココク建築の4年生の卒業制作のラストスパートにほんの少しだけヘルプとして手伝いに携わってきました。


そうか、もう1年経つのか。


ちょうど1年前の自分の姿が生々しくフラッシュバックしてくるんですね。

提出直後は虚無感が、そして寝て起きてを繰り返す度に、やり切ることができなかった悔しさが地層のように積み重なってくるんです。それもこれからまた別の層が積み重なっていくのには幾分軟弱で、これ以上積み重なったら崩れ落ちてしまいそうな。卒業制作期に形成された層はそのような感じのものでした。


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それでも地層というのは自分の想像とは反して固まっていくもので、当時はまさかこの地層がこれからの自身の建築的思考のベースになっていくとは思いもしませんでした。

学部時代は院生になっても漠然と建築設計の砂漠を歩くんだろうなと考えていましたが、

建築の現場から引いた目線で建築に関する様々なことを考えていくうちに、卒業制作に関しても相対化され、そして自分がこれからどうしていくべきなのか、少しですが明確になってきた気がします。

院試に関しては今年も相変わらず苦労しましたが(まさか2年間で5大学の即日設計をするとは)、1年のブランクに関しては当初ほどネガティブには思わなくなりました。


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あと2ヶ月でまた現場に復帰します。

ボクのいく研究室ですが、先生はイタリアの近代史、サンテリアあたりの未来派からテラーニなどのファシズム建築などを中心に研究されてる方で、バリバリ設計をするというよりは週1のゼミで自身の研究をしながらコンペをやったりするという感じのようで、

右も左もわからないままとりあえず手を動かしていた学部時代に比べておそらくインプット中心の生活になるだろうと思われます。地層をより強固にしてしっかりとしたベースをつくるそんな期間。

その地層というのは幸か不幸か、卒業制作から連綿とつづく団地再生なんですね。

団地再生だとやや狭義な気もするので、現代から近未来における底辺から中間層の人々の住宅あり方に関する研究、とでも言い換えましょうか。

戦後の住宅難の時代に、あらゆる層に持ち家を与えるべく51C型など標準化された住宅が提案され、そこで表記された2DKというラベルが、nLDKという一般の住宅の価値を示すことにまで拡大解釈され、昨今まで住宅供給の指針として使われてきました。

これはある意味すごいことだと思います。

しかし、そうしてつくられた都市の風景はどう考えても豊かには見えないですし、これからもそのやり方を踏襲していくのはやはり危険だと思います。

山本理顕氏は『地域社会圏』という言葉を用いながらこれからの都市のあり方を模索していますが、同様にボクも都市のもつ変化する価値、不変の価値を明らかにしながら新たな住まう形を提案していくことがボクのするべきことだと感じています。

その対象は60年前と変わらず、自身の夢見る住まいを実現するのが困難な(もしかしたら夢見ることすら忘れかけている)中間層以下の人々の住宅ですし、彼らの住まいを考えることは都市の風景をよりよいものに変えていってくれると確信しています。

ブルジョワ層やクリエイティブ層向けの前衛的な建築は、ボクなんかより優秀な人材が余るほどいますのでそちらは彼らに任せるとして、ボクはボク自身のスタンスで建築にアプローチしていこうと思うわけです。


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そんなわけで、これから新たなスタートを切るために、そのきっかけとなった地層、卒業制作を晒してみようかな、と思い立ったわけです。お世辞にも良い出来とは言えませんが、当時と現在の考えの変化なども交えながら次のpostで紹介します。