2011/08/27

ヒグラシなるままに


院生になってから全く更新してなかったようですね。

ずっと前に投稿した前のpostでは、次に卒制の話するなんて言ってたね、そういえば。

今諸事情で、卒制の素材を修正してます。
こういう修正はどこまででもできてキリがない。こんなことしてないで新しいものをつくれよっていう。

まあそれで、今までなかった俯瞰パースをつくったわけです。

なんで今まで全体像がわかるパースがなかったかというと、
卒制のときは完全にパワー不足で全体模型がおもちゃみたいなのしかつくれなくて、
ほぼゼロの状況からパース起こすのが億劫だったから。

筑波受けるときにも結局間に合わなくてフォリオに載せてなかったのです。
我ながら酷い話だ。

これが敷地の阿佐ヶ谷住宅。
素敵な、でもボロボロの、テラスハウス中心の団地。
今、建て替えの話はどうなってるのかな。

それが徐々に建て替えを行っていって、
最終的にはこうなる。

















パースつくってて、ああこんな感じだったんだ(笑)って自分自身で再確認。

にしてもトップにもってくる可能性があるパースとしてはパッとしないな...
まあ、地味な設計だったしね。

手伝ってくれた先輩・後輩、あとは村上や山ちゃんも。
彼らに全体像のイメージをほとんど伝えないままつくらせてたんだから傍若無人もいいところ。
そうなんです、こんな感じだったんです。


ちなみに4年前期課題。


他にもパースの素材はあるけど、手間かかるから今日は省略。
このあとも登場しないに100万ペソ。




さて、私の現況について少しお話します。

春から院生生活をしているわけですが、
前の1年間で身についた規則正しい自宅警備生活のリズムが抜けず、筑波の緩い空気に飲まれ、体調が優れない日々がちょっと続いたのもあって、
1学期(うちの大学は3学期制なんですね)、何かしたのかなーっていう、豆腐にデコピンするくらい手ごたえのない感じであっという間に過ぎ去ってしまいました。
今は割と体調もよいです。本当に健康でいられることが1番の財産だよ。

そういえば企業のインターンの希望も出し損なっちゃったんです...
別に短期留学とかいくわけでもないし、すっかり夏休みが緩くなってしまった。何やってんだか。

その代わりといってよいのかわかんないけど、いくつか並行でコンペやってます。
幸い、声をかけてくれる仲間もいてくれて。

研究室生活は新鮮です。
横国建築意匠系にはこういうのないもんね。

M1 が2人しかいないもんだから、研究室のホームページをつくり直すのもそれなりの労力。
おかげでボチボチよいものができたかな。
ボスのGOサインが出次第、URL公開して拡散します。ふふふ。

研究に関してはなんとなく方向性は決めました。
修論か修制を選ぶのですが、今のところ修論を書くつもりです。
横国は論文の書き方すら知らないまま卒業しちゃったからね。
テーマはまだ秘密。バックグラウンドに団地再生の卒業設計をしたことが間違いなく影響してると思います。

そして進路ですが、ガッツリ就活してみます。
色々考えた末にね。アトリエも惜しいけど。

まとまりのない文章になってしまったけど、こんな感じです。

次のpostは何か推敲した文章をちゃんと書ければと。

ちゃんちゃん。

2011/02/04

卒業設計で考えたこと、そしてピーマン。

先日、母校ヨココク建築の4年生の卒業制作のラストスパートにほんの少しだけヘルプとして手伝いに携わってきました。


そうか、もう1年経つのか。


ちょうど1年前の自分の姿が生々しくフラッシュバックしてくるんですね。

提出直後は虚無感が、そして寝て起きてを繰り返す度に、やり切ることができなかった悔しさが地層のように積み重なってくるんです。それもこれからまた別の層が積み重なっていくのには幾分軟弱で、これ以上積み重なったら崩れ落ちてしまいそうな。卒業制作期に形成された層はそのような感じのものでした。


*********************


それでも地層というのは自分の想像とは反して固まっていくもので、当時はまさかこの地層がこれからの自身の建築的思考のベースになっていくとは思いもしませんでした。

学部時代は院生になっても漠然と建築設計の砂漠を歩くんだろうなと考えていましたが、

建築の現場から引いた目線で建築に関する様々なことを考えていくうちに、卒業制作に関しても相対化され、そして自分がこれからどうしていくべきなのか、少しですが明確になってきた気がします。

院試に関しては今年も相変わらず苦労しましたが(まさか2年間で5大学の即日設計をするとは)、1年のブランクに関しては当初ほどネガティブには思わなくなりました。


*********************


あと2ヶ月でまた現場に復帰します。

ボクのいく研究室ですが、先生はイタリアの近代史、サンテリアあたりの未来派からテラーニなどのファシズム建築などを中心に研究されてる方で、バリバリ設計をするというよりは週1のゼミで自身の研究をしながらコンペをやったりするという感じのようで、

右も左もわからないままとりあえず手を動かしていた学部時代に比べておそらくインプット中心の生活になるだろうと思われます。地層をより強固にしてしっかりとしたベースをつくるそんな期間。

その地層というのは幸か不幸か、卒業制作から連綿とつづく団地再生なんですね。

団地再生だとやや狭義な気もするので、現代から近未来における底辺から中間層の人々の住宅あり方に関する研究、とでも言い換えましょうか。

戦後の住宅難の時代に、あらゆる層に持ち家を与えるべく51C型など標準化された住宅が提案され、そこで表記された2DKというラベルが、nLDKという一般の住宅の価値を示すことにまで拡大解釈され、昨今まで住宅供給の指針として使われてきました。

これはある意味すごいことだと思います。

しかし、そうしてつくられた都市の風景はどう考えても豊かには見えないですし、これからもそのやり方を踏襲していくのはやはり危険だと思います。

山本理顕氏は『地域社会圏』という言葉を用いながらこれからの都市のあり方を模索していますが、同様にボクも都市のもつ変化する価値、不変の価値を明らかにしながら新たな住まう形を提案していくことがボクのするべきことだと感じています。

その対象は60年前と変わらず、自身の夢見る住まいを実現するのが困難な(もしかしたら夢見ることすら忘れかけている)中間層以下の人々の住宅ですし、彼らの住まいを考えることは都市の風景をよりよいものに変えていってくれると確信しています。

ブルジョワ層やクリエイティブ層向けの前衛的な建築は、ボクなんかより優秀な人材が余るほどいますのでそちらは彼らに任せるとして、ボクはボク自身のスタンスで建築にアプローチしていこうと思うわけです。


*********************


そんなわけで、これから新たなスタートを切るために、そのきっかけとなった地層、卒業制作を晒してみようかな、と思い立ったわけです。お世辞にも良い出来とは言えませんが、当時と現在の考えの変化なども交えながら次のpostで紹介します。

2009/11/28

痛むぜ

背骨が痛くてねぇ。
むち打ちになったように首と背中全体が張ってて、動かなくて、
模型作ってても集中できない。
ま、こういう日もあると、開き直ってみる。

多分ね、新しい集合住宅は長い倉庫の中に住むんだ。
ボクは、モノと、ヒトと、社会と、記憶と、を様々なスケールで結びつけてあげなきゃいけない。

てなイメージだけもって、夢でいいアイデアが浮かぶように、寝る。

...でも、1番の願いはまず痛みが引くこと。

2009/11/19

晩秋の寒さが身に染みる季節になりましたね

すいぶん放置してましたね。
みなさんごぶさた!

明日、中間発表っていうこのタイミングでのポスト。

卒業設計は、手探りながらも徐々に進んでいると、信じたい。
しかし、この学年はやることが遅い。手が動かない。

みんなといろいろ協力していきながらも、
よくない影響は受けないようにしないと。
結局は自分との戦いですもんね。

************************

やはり、うちっぽく、きれいに与件やプログラムを解こうと、みんないそいそとリサーチしてるみたい。
それ大事。ほんま大事。

だけど、なにが1番大事かって、他人に共感してもらえる空間をつくれるかってことなんじゃないかな。

************************

だからボクの場合、集合住宅をつくるんだけど、
いかに共感してもらえる風景、住まい方を描けるか。

そして、本当にそこに自分は住みたい?

って問いを常に投げかけながら、設計していこうと思います。

左脳⇒右脳⇒左脳⇒右脳.......

2009/09/26

さぁ、どうしようか

藝大の院試が終わり、まぁ、結果は知らんわけですが、期待はし過ぎないように、
いたって平常心のまま、つかの間の夏休みを満喫したり、社会復帰したりしてるここ数日。

にゃおとはもう卒制の準備始めてるみたいだけど、しばらく何にも追われない人間らしい生活を送りたいんで、建築のことを忘れたいんですが、職業病ですかね、なんとく卒制のことはイメージしてみてます。

先日の院試の面接では、元倉真琴さんとゆっくり話すことができました。
とはいってもほんの10分弱でしたが、ボクのポートフォリオを見ながら、作品のことを説明したり、
そこから横国の建築と藝大の建築のスタンスを話したりと、
元倉さんにお世話になれるかは別として、かなり濃密な時間になったことは確かです。

ボクは横国の建築のイメージとして、都市を都市として解くことを求められてると思ってました。
綿密なリサーチの結果見出された、社会の盲点、あるいは隠されたポテンシャル。
それらから新たなシステムやプログラムを見出し、それを空間化していく、とでもいうんでしょうか。

ここで求められる新しさっていうのは、選んだ敷地おいて、その敷地での生活を劇的に変えることのできる、でも単純明快なシステムやプログラムをもってその地特有のリアリティを構築することなのかなって。

例えば、茅野市民館は、人々がホームへ向かうのに必ず通る跨線橋から下る階段に、アプローチを兼ねた図書ルームというプログラムを導入することで、寒い上に地方路線特有の長い電車の待ち時間をもった茅野駅での過ごし方を劇的に変えていますよね。

それは、とても素敵なことで、こういった想像を膨らませることができるのが建築家の特権なんでしょうけれど、ひねくれすぎてるんですかね。なんかモヤモヤが消えないんですよ。

それらのシステム・プログラムが実現できれば、それ以上のことを建築空間には問われないこと。
それと、さっきの茅野市民館の話でいうと、茅野市民以外の、僕ら建築学生であったり、あるいはただの観光客にはそのリアリティが享受できないこと。
じゃ、建築学生や、観光客相手のプログラムをもってくればいいか。それは違う。
ある対象のみを想定してリアリティを構築している以上、その補集合となる対象が存在してしまうのは必然で彼らに対するリアリティを求めること自体が矛盾なのか。

なんだろう、もう少し普遍的に都市に向き合いたいのかな。
サイトスペシフィックじゃなくて。
それでいて、身体的にやりたいんだよね。
でも、なんだろ、身体的って。未だによくわかんね。ヒューマンスケールとかの問題じゃないし。

そんなスタンスのはっきりしない状態で、さっきの元倉さんの面接に挑んだもんだから、

『どんな建築家になって、どんな建築をつくりたいんだい?』

って質問に、うまく答えられませんでした。


そしたら、そんなボクを見兼ね、元倉さんはこんなことを言ってました。

『横国の人たちは、都市を都市として解かなければいけないって勝手に自分たちを縛りつけている。都市はもっと身体的に解けるはずなんだ。』

ハッとした。

多分ボクが今やりたいことは、都市を身体的に解くことなんだって。

さっきもいったけど身体的ってよくわかんないけど、非常に魅力と可能性を感じる。

藝大の結果はわかんないけど、元倉さんとの面接で、自分のスタンスははっきりした。


ボクは、卒制で、都市を身体的に解く。


それがわかっただけでも藝大を受けてよかったのかなって。



で、具体的にはね、火山はやめ。
今は開口に興味があります。

ある2つの世界の境界の接点である開口をもっとデザインしなければいけないと思ってます。

その開口が都市を変えうると思ってます。

多分、様々な開口の特徴を身体的に抽出して、プロトタイプ化し、
それを実際の都市に落とし込んでいくっていうアプローチになるのかな。

今はそんなイメージの段階。

ま、10月入ってから考えよう。